今日本で暮らしている皆さんは小さい頃から「生き物は大切にしなさい」「虫は殺しちゃダメよ」って教わってきたと思います。実際にペットとして動物や昆虫を飼っている人は家族のように、彼らと接していると思います。
でも、そんな素敵な皆さんでも殺しても咎められない生き物がいますよね。そうです。ゴキブリです。皆ゴキブリが出たら泣き叫びながらも、心を震わせ、武士の如く処理します。
そこに罪悪感なんてものは微塵も感じません。
でも最近あるゴキブリを題材にしたアニメを見ていて、ふと考えました。なぜゴキブリは殺して良くて動物は殺してはダメなのか。殺されるゴキブリにも家族がいるのに。それも人間とは比較にならない程の大量の家族が…
皆さんも某アニメを見たらこんな気持ちになり、罪悪感からゴキブリを殺せなくなるかもしれません。
そんな皆さんのために今回は、「ゴキブリはなぜ殺しても良いのか」
この命題をテーマに理論的にゴキブリを殺して良い理由を模索します。
このブログを読めば、もうゴキブリを退治するのに躊躇わない。平穏な暮らしを取り戻せますので、ぜjひご一読ください。
1権利
「人間には権利があり、ゴキブリには権利がないから、ゴキブリが殺されるのは構わない。」と答える人がいそうですね。確かに、この理論は間違いがありません。人間は基本的人権が尊重され、身体の自由が保障されます。人権によって我々の心体は保護されているから殺されることもなく生き延びられている訳です。
一方でゴキブリには権利などと言うものは存在しません。彼らには精神の自由も身体の自由も認められていないのです。
法的にはゴキブリは殺してもよさそうですね。ではなぜ、ゴキブリを殺してもママに怒られないのに、無差別にありを踏みつけると母親に怒られるのか。
アリにも権利なんてものは微塵も認められてはいません。権利どころか義務もないのに何かに迫られるように働く彼らは一体なんなのかと言うことはここでは置いておきましょう。
法律上はアリもゴキブリも殺して良いのになぜ蟻を殺すと怒られ、ゴキブリを殺しても怒られないのか。ここには道徳的な問題がありそうですね。
2道徳
道徳という言葉をGoogleで調べるとこのように出ます。「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」なんとも曖昧な定義でしょう。善とは何か悪とは何か。何もわからないこの道徳という言葉の定義。
このように道徳という言葉の定義が曖昧であるのには理由があります。それは道徳という言葉は曖昧でなければ不都合が生じるからです。道徳という言葉は正義にも近いですが、地域・時間で、変化しうる言葉であり、この言葉は最強なのです。全ての理論を覆すほどの力を持った言葉なのです。この言葉に意味がないからこそ、道徳的にという言葉で善悪を決めることができるのです。つまりこの言葉はその地域のその時を生きる人間によって恣意的に意味を変えて使うことができる言葉なのです。この言葉を使うことによって人間は元来恣意的であり残虐であることには目を伏せてきたのです。
ですから人間がゴキブリを殺すことに善も悪もないです。ただ、我々ゴキブリの立場からすると、人間はゴキブリを殺しておきながら自らの行為を正当化させるのは気分が良いものではないです。せめて自分達が我々ゴキブリにとって悪の大王であり悪意を持って殺虫を行っていることを認めてくれれば我々も成仏できるという訳です。
ジョージ